つまらない仕事

 晴れと雨が入りまざった空の下、一人の青年がまったく面白くないという顔つきで歩いていた。
「……ったく。なんだって、俺がこんな仕事をしなきゃならんのだ。他に人手はたくさんあるだろうに。まったく、面白くない」
 ぶつくさと愚痴をもらしながら、薄暗い路地をさまよっている。そういうときには、何かと悪い輩が寄ってくるものだ。その青年も、例外ではなかった。
「やあ、どうしたんだい。そんな浮かない顔をして。ぼくにお役に立てることがあるかい?」
「ん、なんだ、貴様は。そんなつまらない服を着て。全身まっくろじゃないか」
「おいおい、ちがうだろう。これは着ぐるみなんかじゃない。見てわからないか、ぼくの正体が」
「真っ黒い肌、つりあがった目に、矢印のかたちをした尻尾……。さてはおまえ、悪魔だな」
 青年の口調からは覇気が感じられなかったが、悪魔はいちおう威張った態度をとった。
「そうだ、悪魔だ! おどろいたか」
「ああ、これは意外なやつに声をかけられたものだ。それで、いったい俺に何のようだ」
「君があまりにも冴えない表情をしていたから、なにか訳があるんだろうと思ってな。どうだ、何が不満なんだ。それをぼくが消し去ってやろう」
「ふん、悪魔なんぞに、俺の苦しみがわかってたまるか。あっちへ行ってしまえ」
 と、青年はくさりきった文句を悪魔にぶつけた。そしてまた暗がりのほうへ、足を運ぼうとした。しかしそれは悪魔が許さなかった。
「待て待て待て。なんだ、その言い草は。ぼくは悪魔だぞ。凄い力をもっている。なんでも君の願いごとを、叶えてやろうといっているんだ」
「へえ、面白いことをいうな。本当になんでも叶えてくれるのか?」
「ああ、当たり前さ。それと引きかえに、別に命を取るわけでもない。ただし、条件がある。願い事は、世界平和だとか、環境保護だとか、そんなヘドが出るようなものじゃだめだ。できるだけ誰かに迷惑をかけるものがいい。それが悪ければ悪いほど、ぼくのおなかはふくれるんだ」
「なるほどね。じゃあ、お願いすることにしよう。いまから十秒ほど、時を止めてくれ」
「そんなことは簡単だが……。いまの説明を聞いていなかったのか? 時を止めたくらいで、いったい誰に迷惑がかかるというのだ」
「それが俺の望みなんだ。きっと君の腹は満たされるだろうよ。だからやってくれ、たったの十秒でいいんだ」
「まったく、こんなやつは初めてだ。憂鬱そうな顔では、いままでで一番なのに。それじゃあいくぞ。それっ」
 と薄っぺらい掛け声とともに、この世の全てのものから、動きが消えた。悪魔はいまから彼がどんな行動に出るのか興味深そうに見ていたが、男は自分も時が止まったようにじっとしていた。
 そして、何もしないまま十秒が経った。
「何をしていたんだ。せっかく時を止めてやったのに。誰かにイタズラしてやろうとか、少しは思ったらどうなんだ。これじゃあ、全然、満足しないぞ」
 悪魔の非難の声を聞いているのかいないのか、男はひどく空虚な様子でたたずんでいた。さらに追い討ちをかけるべく、悪魔が声を上げようとしたとき。その異変は、唐突に起こった。
「ん、なんだこれは。急に息苦しくなってきたぞ。むむっ、どんどん腹がふくらんでいる。いったいどうしたというんだ」
 焦ったように悪魔は言った。そんな彼に向けて、男はボソリと呟いた。
「だから、さっきも言ったじゃないか。十分、君の腹は満たされるだろうって」
 その間にも、悪魔のおなかは大きくなっている。そのペースは、とどまることを知らない。
「だ、だめだ。このままじゃ、身が持たない! たのむ、止めてくれ」
「それは、無理だろう。誰かに迷惑をかけた分だけ、君はエネルギーを吸収してしまうんだ。途中で止めることなんて、できやしないよ」
「そ、そんな。しかし、たかが時間を止めたくらいで、こんな膨大な量になるわけ……」
「まあ、チリも積もれば山となるさ。十秒間だけ時を止めたら、ちょっとずつ困るだろう。世界中の人間が」
 悪魔の悲痛な叫びを、男は平然と聞き流した。その顔には、同情も笑みも苛立ちもなにも浮かんでいない。やがて、ふくらみすぎた風船は花火のような音とか細い悲鳴を立てて、派手に破裂してしまった。
 地面に残った黒い残骸を見下ろしながら、男はため息をついた。そして胸の中から、小さなメモ帳を取り出す。
「せっかく見逃してやろうと思ったのに、どうしてこう悪魔は頭がはたらかないんだ。こっちは別に好きでやっているわけじゃないのに。はー、つまらない仕事だ」
 と、悪魔退治シートと書かれた表に、男は八つ目のチェックを入れた。
 そして、背中にしまいこんだ白い翼を窮屈そうにしながら、また面白くなさそうな顔つきで薄暗い路地を歩いていった。


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