恋人はクローン

 私の恋人は大学の助教授。生物学を専攻しており、いまはクローンの研究をしていた。
「技術的にはクローン人間を作ることも可能なんだ。皮膚などから採取した遺伝子の細胞を、男性の精子と組み合わせて、体外受精することでね。残された最大の問題は、やっぱり宗教や倫理的なところかな」
 嬉々として話す彼の研究内容を、私はいつも微笑ましく聞いていた。最近では研究に没頭するあまり、こうして二人の時間を過ごすことも限られてしまったけど、夢を追いかける彼のことは大好きだったので、今のままでも充分に幸せだった。
「僕の研究が大成したら結婚しよう」その合言葉を信じることで、私は一人ぼっちの寂しさとたたかうことができた。

 交通事故で彼が死んでしまったのは、そんなときだった。自宅から大学へ向かう道中、トラックにはねられて即死だった。
 私の目の前は文字通り真っ暗になり、すぐに自殺を考えた。しかし、生前に残した彼の話が死を思いとどまらせ、彼の勤めていた研究室へと導いた。もちろん、目的は彼のクローンを産むことだった。
「確かに、技術的には彼のクローンを作ることは可能です。しかし、クローン技術はまだ研究段階なので、正常な人間が生まれるとは限りません。それでもいいんですか」
「はい。彼のいない世界なんて考えられない! 彼にまた会える可能性があるなら、それにかけたいんです……」
 私が涙ながらに訴えたおかげか、単に研究材料として魅力的だったのか。なんとか教授の協力を得ることができた。そして、国や世間には内密に、私はかつて恋人だった男のクローンを出産した。

 研究所の一室でひっそりと生まれた彼のクローンは、赤ん坊とはいえ彼の面影で満ち溢れていた。
「ああ……、しげる、会いたかったわ」
 生まれたばかりの乳児を抱き寄せて、私は人目もはばからずに号泣した。事情を知っている研究員たちは、とても複雑そうな顔で私たちの再会を見ていた。
 すくすくと元気に成長していく彼との生活は、とても幸せだった。心配していた障害もなく、彼のちょっとした振る舞いや動作が愛おしくてたまらなかった。
「しげる、愛しているわ……」
 毎日、私は愛の言葉をかかさなかった。いつの日か、彼も私に愛をささやいてくれることを夢見ていたから。
 彼が一歳を超えたころ、ついに言葉を発するようになった。私は嬉しくなっていろんな言葉を教えようと躍起になったが、彼が呟いたあることばに思わず凍りついた。
「ママ……、ママ」
 愕然とした。彼が私のことを母親として認識するのは、状況からして仕方がないかもしれない。それより恐ろしかったのは、ママと呼ばれて、一瞬でも彼に母性を感じてしまった自分の心の変化だった。
「ち、ちがうわ、しげる。私はママじゃない。私の名前は、ゆきっていうの。私は、あなたのママじゃない!」
 まるで自分に言い聞かせるように叫んだ。いつの間にか、彼を恋人ではなく息子として愛情を注いでいたことがショックでならなかった。ただ、このまま彼を人間として育てていくかぎり、私が彼を男として愛することも、彼が私を女として受け入れることもできないのかも知れない。
「それは、仕方のないことでしょう。子供が親という存在を意識しないで成長することはできないし、親が母性を感じずに子供を育てることもできません。あなたがしげるくんのクローンを産み、育てることを決めた時点で、あなたは彼の母親なんです」
 研究所の教授に相談してみたが、二人がまた男女の関係になることは難しいという意見だった。
 それならそれでいい。だが、彼が私以外の女性を愛することは我慢がならなかった。
「しげるが大人に成長をするまで、施設に預けようかしら。でも、無理ね。その頃には、私はおばさんだもの。もしもタイムマシンがあるなら、未来へ行って、大人になった彼に愛されたい……」
 頭では歪んだ愛情と理解していても、心では彼が女として私を愛してくれることを切望していた。すると、絶望に打ちひしがれる私にむけて、教授が思いもかけないことを言った。
「タイムマシンなら、ありますよ」
「えっ、ほ、ほんとうですか」
「いや、勘違いしてもらっては困りますが……。しげるくんとあなたが、昔のように、男女として愛し合う方法はあるということです」
 それはどういう……、と教授からその方法を聞いた私は、思わず目まいがした。人道的にも倫理的にも大きく外れたことだったからだ。しかし、私が未来へ行くためにはそれしか方法はないようだった。
「あとのことは私が責任をもって引き受けますから。あなたの望みを叶えるには、これが一番だと思うのです」
 という教授のことばが後押しになって、私は覚悟を決めた。教授の言った方法で、私はタイムマシンに乗った。

 それから、二十年後。
 しげるは私のもとで立派な大人に成長をした。
「今日は、ぜひ母さんに会わせたい人がいるんだ」と彼が連れてきた恋人を私はあたたかく迎えた。すべては私の思い通り、私の望んだ未来の形だ。
 彼女は大学の教授の娘さんなんだ、と彼に紹介された恋人は、若かりし頃の私とうりふたつの女性、過去に私によって産み出された自分自身のクローンだった。


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