日本語の改正法案が国会で可決され、ひらがなで不要なものは無くしてしまおうというはたらきが現実のものとなった。
国会議員の賛成過半数で削除された文字は、ひらがなの「を」。
名詞として使われず、文章でもあまり用いないことや、子供が間違えやすいという教育委員会からの意見に後押しされて、あ行の「お」で代用できるという安直な理由から世の中から「を」は消えることとなった。
しかし、私はこの改正法令に断固として反対する。作家という職業柄、日本語には人一倍密接に関わってきたが、「を」が使えないとなるとこれは美しい日本語の表現にとって深刻な問題である。
そもそも、「を」はひらがなのなかで最も美しい形状ではないか。「ち」と「と」の見事な融合、性的ともとれるなめまかしい曲線――頭の固い議員たちに、今一度、「を」という文字の価値や表現力について再考してほしい……。
しかし、このような考えの者は、ごくわずかに限られた。世論や多くの作家も、「を」などという文字は不要だという意見に賛同している。嘆かわしいことだ。
そして、私の熱心な訴えもむなしく、法律によって「を」という文字で執筆することは厳しく制限されてしまった。もしも「お」で代用しなかった場合は、本の出版差し止め、回収のみならず、その作家に対して二年以下の懲役が科せられるという。
まったく馬鹿げた世の中ではないか。このような世界で、私は小説家という職業で果たして生きていくことができようか。否、できるはずもない。
このコラムにおいて、私の作家人生は終焉する。これは私の「を」に対する魂の在りかたであり、日本語やひらがなに対して、いままでお世話になった人としての務めである。
「を」の悲劇と題してここまで読んでくれた諸君。
いま一度、ひらがなの「を」の役割について考え直してみるべきではなかろうか。決して「を」は不要なものではない。「お」では表せない、「を」でしか伝わらない情景、感情というものがあるはずだ。名詞で使われないことや子供が間違えやすいという表面的な問題ばかりでなく、「を」の重要性について深く吟味してほしい。これは、小説家として少なからず生きてきた私の最大の願いである。
最後に、「を」よ……。
私の力不足で、あなたが消えることは、どうか許してほしい。
しかし、私は、これからも「を」に対する深い愛は変わることなく、「を」とともに生きていく。
そして、いつの日か、国民が自らの誤りに気付き、「を」が日本語として復活するときまで、静かに待っていてほしい。
それまで、どうか安らかに眠っていてくれ。
「を」よ。本当に、すまなかった……。
著 神林修造
■編集長より読者さまへ
このコラムお、本紙に掲載した理由について補足いたします。ひとつには「を」が消えることに対してささやかな哀悼の意お捧げることもありますが、それよりも、「を」の不要さおあらためて読者さまに示すことお意図しています。このコラムは、作家が自ら新聞社へ持ち込んだままの文章であり、こちらが依頼したものでも、編集者が原稿に修正したものでもありません。
それにも関わらず、この文章の中には、助詞としての「を」が一度も使われていないのです。
つまり、皮肉にも、この作家は自らの手で「を」の不必要さについて説いたことになりました。「を」という文字など使わずとも、文章は容易に書けるということです。
最後に、「を」という表記お用いた記事お掲載したことについて、読者さまに深くお詫びいたします。文章としてではなく、かっこでくくって形として表したことで、法には違反していませんが、読者さまお不快にさせたことに対して、社員一同、ここで深く謝罪いたします。誠に申し訳ありませんでした。これからも「を」などという文字は読買新聞社としても一切使うことなく、正しい日本語による真摯な記事お、皆様に提供していく所存です。
2035年 4月7日 読買新聞朝刊より抜粋
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