ラブレスシンドローム

 恋愛ができないと揶揄される若者たちの多くは、「ラブレスシンドローム」という病気にかかっていた。
 ラブレスシンドロームとは、愛情、またはその愛情を発展させる意欲に欠けており、心が健康ではないとする精神病の一種だ。不景気が続く社会情勢によって生まれた現代病で、経済的負担によるストレスが一因となり、結婚のみならず、その過程の恋愛まで億劫にさせ、人を愛する気持ちに弊害をもたらす病気とされていた。
「あんたもいい年して結婚もしないで、いつになったら落ち着くの。ずっと恋人もいないんでしょ。一度、病院で診てもらったほうがいいんじゃない」
 テレビのドキュメンタリー番組でラブレスシンドロームの特集を見た母親が、独身の息子、娘に通院を勧める光景があちらこちらで見られた。
「大丈夫だよ。別に病気じゃないから。いまは仕事が忙しくて、恋愛する暇がないだけなんだ」
 まだ、その病名が社会に出始めたころ、自分を病気だと認知する者は少なかった。しかし、病気に効果があるとうたう薬がコマーシャルで流れたり、病気を題材にした映画が作られたり、社会に浸透していくにつれて患者数は増加していった。「愛する心、忘れていませんか」という疾患啓発で使われたキャッチコピーが流行語大賞を受賞するころには、二十代の若者の三割がラブレシンドロームにかかっていた。
 国も、患者の急激な増加を食い止めるため、対策を本格化させた。二十歳から四十歳の全員を対象に特定健康診査、通称ラブレス健診を実施した。職場等の健康診断で「いま恋人はいますか」や「いないと回答した方は、恋人がどれくらいいませんか」といった質問票が追加され、国が定めた「恋人が三年間いない」という基準値を超えた者は保健指導を受けることになった。
「彼女は、この年齢で恥ずかしいんですけれど、一度もできたことがありません。自分には縁のないことだと、恋愛はほとんど諦めています」
「なるほど。それでは、まず来月に開催される健康セミナーに参加してみましょう。大丈夫ですよ。セミナーはあなたと同じような悩みを抱えた方々が集まる場ですので、恥ずかしいことはありません。気兼ねなく、ご参加ください」
 保健指導では患者と個別に面接し、支援レベルの高い患者には集合型セミナーへの参加を促した。会場には同世代の男女が均等に集められ、男女間で自己紹介カードを交換しながら会話をしたり、ゲームをしたりして親睦を深めた。その場でカップルとなった患者は治療成功とみなし保健指導は終了する。参加者の多くはお互いに悩みを共有でき、価値観も似ていたのでカップルの成立率は五割を超えた。一部のマスコミからは国が税金で婚活パーティを開催していると叩かれたが、実際に恋人ができ、結婚し、幸せな家庭をもつ若者が増えていたので批判の声はすぐに聞かれなくなった。

「ラブレスシンドロームの対策は順調なようですね」
 国のある会議室で、省庁の職員と民間企業で構成された特命プロジェクトのチームが、ラブレス健診の効果について確認していた。
「ええ。婚姻率や出生率の推移からみても、一定の成果は上げられたことが分かりました」
 職員の一人はグラフの緩やかな上昇を見て満足そうにうなずいたあと、「ただし」と付け加えた。
「そろそろ、どうでしょうか。もっと直接的な効果が見込める手段に移行したいのですが」
「そうですね。直接的な効果となると、やや取扱いの難しい情報を操作することになります。娯楽、もしくは教育的なアプローチがいくつか考えられますが、即効性を重視するならば同じ手法が良いでしょうね。人を動かすには、不安を煽るのが一番です」
「分かりました。以前もお話した通り、国力の低下を防ぐためには、あまり時間を掛けられません。今回も同様の方針で進めてください」
 会議は滞りなく進行し、今後の方針に異を唱えるものは誰もいなかった。
 それから間もなく、少子化対策の予算を拡充するための増税がひっそりと行われ、「セックスレスシンドローム」という新しい病気が社会に蔓延した。


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