男はプログラマ。仕事で携帯電話のアプリケーションを開発している。趣味もプログラミングで、最近、メールの作成と送信を自動的に行うアプリケーションを開発した。毎朝、遠距離恋愛をしている恋人にオハヨウメールを送ることを義務付けられているのだが、あまりに面倒になったせいだ。
メールの内容は「おはよう。今日も仕事がんばろう」と味気ないものだったが、彼女にはばれなかった。男はそのことに味を占め、朝の定型的なものだけではなく、普段のメールにも対応できるように機能を改良していった。
ある夜、男は会社の同期の女性と飲みに行った。お互いに恋人はいたが、ときどき二人きりで食事をしたり、関係を持ったりする浮ついた仲だった。
「サイテーだね。メールも機械任せなんて」
男がアプリケーションについて話すと、女はけらけらと笑った。先ほど、携帯電話を確認したら、いまは彼女が応援しているサッカーチームについてメールしていた。
「へえ、朝の挨拶だけじゃなくてそんな事もできるんだ」
女もエンジニアだったのでアプリケーションの仕様に興味を惹かれたようだった。
「かなり改良したからね。あらかじめ彼女の好きなサッカーの情報を設定しておけば、それに関連する話題を提供できるんだ。あとは変な文章を送ったときのために『ごめん、打ち間違えた』ってフォローしたり、そのときの時刻やメールの送信数から判断して『そろそろ寝るね』ってメールを切り上げたりする機能もあるよ」
「そんなに作り込んだの? 彼女が可哀そう」
「使ってみたくなったら、公式マーケットから無料で取れるよ」
女は目を輝かせて公式サイトにアクセスした。そこでアプリがランキング入りしているのを見て「こんなのに需要があるなんて、嫌な世の中だね」と笑いながらダウンロードした。
翌朝、男は女を駅まで見送ると、恋人に電話を掛けた。休日の朝はメールではなくて、電話で「オハヨウ」を言うことになっていた。
「おはよう。ごめんね、昨日は遅くまで付き合わせて」
男が女と寝ているとき、アプリは恋人の仕事の愚痴に付き合わされていた。『そろそろ寝るね』機能が発動しなければ、メールは明方まで続いたかもしれない。
「平気。ちょっとは気が紛れたなら良かったよ」と男は言った。我ながらひどい奴だなと吹き出しそうになったとき、彼女が思い出したように言った。
「そういえば、知ってる? 友達が教えてくれた、最近、人気のアプリなんだけど」
そのアプリの名前を聞き、男はそっと息を呑んだ。
「いや、知らない。自動で何をするの?」
「なんかメールの文章を作ったり、送信したり、その人に成り代わってするんだって。メールが遅くまで続いたら『ごめん、そろそろ寝るね』って送って、メールを止めることもできるらしいよ」
「そうなんだ、変なアプリだね」彼女の「昨夜みたいに」という言葉にかぶせるように男は言った。
「そうだね。おかしいね。こんなアプリを作る人も、使う人も……。相手の気持ちをまったく考えてないよね。最低だよ」
今度は、男は何も言い返せなかった。そこで彼女も話を止めてしまったので、気まずい沈黙がしばらく続いた後、電話は唐突に切られた。
「昨日は、ごめん。正直に言って、メールを自動的に送信するアプリを使ってた」
翌日、男は彼女に謝罪した。あれから、何度も電話を掛け直しても繋がらなかったが、ようやく彼女から応答があった。
「どうして、そんなアプリを使ったの?」
「たまたま、ネットで見つけて、アプリの開発者として面白そうだなと思ったから。ただ、言われた通り、コミュニケーションを機械に任せるなんて最低だった。反省してる。もう二度と使わない。ほんと、ごめん」
「反省してるならいいよ。許してあげる。ただし、二度と使わないでね」
「もちろん。絶対に使わないよ」
「分かった。ところで、いつから使ってたの?」
「一週間くらい前から。でも、いつも使ってたわけじゃないよ。ときどきです」
「ときどきって、どれくらい?」
「ほんと、数えるほどだよ。このメールにはどんな返信するのかとか、アプリの機能を調べる目的が強かったから」
「それで、アプリの機能は強かったの?」
「え、どういう意味?」
男がそのメールを送ったあと、一分と待たずに彼女から返信があった。そこには「ごめん、打ち間違えた」と書かれていた。
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